吉祥寺の公園にいた、小さなお稲荷さん。

 

緑と湧き水の豊かな井の頭公園。その池のほとりに、小さなお稲荷さんがいたのをご存知ですか?

江戸時代から庶民に慕われ、四季折々の自然とともに池端の美しい景観を生み出していました。

 

親之井稲荷さんとは?

井の頭公園の中にある、自然文化園・水生物園の入り口を少し右にそれた辺り、弁天池に面して少しでっぱった場所に、親之井稲荷(おやのいいなり)さんはありました。

井の頭弁財天と、ちょうど池をはさんで向かい合うような位置です。

 

小さな参道には赤い鳥居が連なり、池に向かって建つ石の鳥居をくぐるとお稲荷さんの祠がありました。

赤い立派な祠で、中には優しいお顔立ちの白狐さんの像があり、まわりにも狛狐の石像が何対も奉納されていました。

 

毎日のお散歩がてらお参りされる方、ここで大切な人の幸せを想う方、池端の風景を写真や絵画におさめようと三脚を立てる方、、、、

いろいろな方が、この場所に親しんでいました。

 

しかし、2013年5月1日の深夜、不審火により鳥居と祠が燃えてしまいました。

半年ほど黒こげの姿でそこにありましたが、2014年夏に撤去されてしまいました。

 

その後も再建されることはなく、現在は跡地という看板が立っているのみです。

親の井稲荷さんの歴史

お寺や大きな神社と違って、地元密着の小さなお稲荷さんはあまり資料に残っていません。

親之井稲荷さんの歴史は古いようですが、建立当初のことはまだまだ分かっていません。

お稲荷さんの会では、地域の歴史とともに調査研究を続けています。

 

最も古い資料では、1650年代に描かれたとされる『牟礼村古地図』の中で、現在の位置に「いなり」と書かれているのが見つかっています。

地元の方からは「井の頭弁財天よりも古くからあった」というお話もあり、長くこの土地で愛されてきたお稲荷さんのようです。

 

また「親之井」という名称は、「狛江」「七井」と並んで、井の頭池を表す古い名前のひとつです。

狛江、七井は現在も井の頭池にかかる橋の名前として残っていますが、親之井という名前を今に残していたのはこのお稲荷さんだけでした。

再建に向けて

不審火があってから、再建を願う声はあちこちからあったそうですが、親之井稲荷さんの再建は、なかなか難しい状況です。

なぜかというと、「持ち主がいない」からです。

 

お稲荷さんの建っていた土地は以前はお寺の所有地でしたが、現在は東京都の土地です。

また、焼けた跡の祠や石造物が全て撤去されてしまったこともあり、都の公園という公共の場所に、新たにお稲荷さんを作ろう、と考えると難しいのです。

 

でも、この場所に昔からあり、庶民のささやかな憩いの場所として愛されていたのです。

誰かのいたずらか不注意によって燃えてしまったのはとても悲しいことで、もとの可愛らしいお稲荷さんを、美しい景観の中に残したいと願っています。

 

私たちは宗教団体ではありません。井の頭公園が好きで、かつてのお稲荷さんに愛着を持っていた近所の有志の集まりです。

歴史的・文化的にも価値のあるお稲荷さんを、再建するなら協力しようと言ってくださる方々も少しずつ増えてきました。

これからも、応援して頂ければ嬉しいです。

 

 

 

 


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